「一生懸命」という言葉の罪深さ。

「一生懸命」って言葉がきらい


「がんばれ」とかもあまり言われるの得意じゃないんだけど、なんでこんなに一生懸命という言葉が地雷なのかなーと思って考えてみている
私の中でよくみる文脈はおおよそこんな感じなのよね

a「一生懸命やったんですけど、、、」
b「もっと一生懸命やれよ」
c「一生懸命がんばってすごい」


a 「一生懸命やったんですけど...」
失敗してる時の弁明パターン。一生懸命という言葉を免罪符にしてるひと。いかにも相手にアピールするためという点でcに近い。「真面目にやってる」が免罪符になると思ってるひとにも近い。

b「もっと一生懸命やれよ」
思うに、aの進化系。aが経年変化で偉くなってしまい、「免罪符を出せ」というような文脈。それ以外の道はないと思っている。勝手にやってろ。
大体言う相手が必死であっても見えていないし適切な手助けをする気もない。呪文「一生懸命やりなさい」しか言わない。たぶん父がこれなのは私がこの言葉が地雷な理由としてとても大きな一因

c「一生懸命がんばっています(他人を見て)」
これはなんか、感動ポルノとかでよく見るやつ。相手を下に見てるのが透けて見える感じがする。いかにも誰かの心を感動(笑)させようとしているときのことば。はいはいってかんじ


で、だいたいろくでもないからなーと思いました。
「一生懸命」でどうにかできた時代の人たちが言ってんだと思うけど物理的に人足りてないし「一生懸命」をみんながやりまくってそれを美徳にした結果が世の中総ブラック化だと思う。別にたくさん残業したとて偉くないし寝ないで働いて偉いんでもないし、ほんとはその人がやるべき「一生懸命」ではなくてお上が担うべき仕事じゃねーか?なんか「一生懸命」教っぽい。ワタミかお前。

大体「一生懸命」な人って余裕ないから性格悪いしね。それが悪いんじゃなくて、ゆとりなかったら他人に優しくする余裕なんかないのは当たり前なのになに「一生懸命」って言葉で美徳にしてくれちゃってんの?
みんなで余裕持って生きていきたい。でも苦労したいなら邪魔しないから勝手にやって~~

「頑張る」も「つらいことをたえしのぶ」みたいなイメージがつよいから、いう人で勝手にやっててほしい。私はつらいことなんかやりたくない。
英語の文脈では「がんばってね」は「take it easy」になる。「気楽にね」。こっちの方がぜんぜんいい。
一方「がんばりました」というときには「It was hard for me」とかになるわけやん。hard(難しい、困難、耐え難い、厄介、苦しい、、、)だよ?
苦労なんかしないに越したことないに決まってんだろーが!!!
2018年ぞ、、、、いかに楽するか考えるのも仕事にしよーぜ、、、、、

がんばってね、ってひとよりあまり言わない。たぶん。
「無理しないでね」を言うことの方が多い。
「がんばってね」って大体「無理しないでね」の真逆だ。無理してどーにかしなよ、だ。
「無理なんかしなくていいよ」のほうがいいたい。
大体のことはぶん投げてもいい。世界は回る。代わりもいる。みんな投げていい。投げても別に隕石降ってこない。
どーしても無理な時は誰にだってある。

悪意ない「がんばってね」を浴びるように言われてる人に「無理しないでね、無理だと思ったらちゃんと投げてしまえ、君が笑えることより大事なことはない」と伝えて泣かれたこととかすごく感謝されたこと、たくさんある。みんなもう、とっくにがんばってる。無理しなくていい。




と、ゆとり世代の偏見でした。そろそろ寝る